終夜灯ブライトブライト'

書きたいことを書きたいときに書く練習 アメブロから引っ越し

深海のリトルクライ

アラサーが向き合わなければならない問題、「結婚」の二文字に必死に抗おうとしている。

 

昔は結婚願望は人並みにあった。昔の私に常につきまとっていた、「いつか一人ぼっちになるのではないか」という寂しさや不安は、結婚をして相手の待つ家に帰ることで傷が治るように消えていくのだと思っていた。

 

ところがどっこい、そういうわけでもなさそうだという気持ちが最近強まってきている。

その気持ちを文字にすると、「別に不安や寂しさは別のものでも埋められるのではないか」という予感と、「私が本当にやりたいことを見つけて実行するときに、結婚相手や家庭がその枷になるのではないか」という懸念に分けられる気がする。

 

前者、「不安や寂しさは結婚以外でも埋められるのではないか」ということについて。

学生の頃の人間関係といえば基本的には利害の発生しない友人関係や先輩後輩関係で、「役に立つから」ではなく「一緒にいて楽しいから」という理由で必要とされたいと思っていたし、それが健全な人付き合いのあり方だと考えていた。

でも社会に出ると、「役に立つ」人間だって、それはそれで大切に扱われることが分かった。

それだけじゃなく、自分が残業して頑張って作ったものが、会社の利益(というと大袈裟だしそんな仕事もできてないが)の一部になっていると思うと、それだけで一人ぼっちの寂しさや、世界でいらない人間だという苦しみが少し和らぐというのを実感として得ることができた。

そういう劣等感や自己否定の気持ちが和らぐと、他人とのコミュニケーションにも過度に苦手意識を持たなくなって、「役に立つ」人間としてだけじゃなく「一緒にいて楽しい」人間として私を必要としてくれる友人や会社の同僚も少ないけれど出てくるので、結婚して誰か1人に必要とされることが私の生きづらさを解消する唯一の手段じゃないのかもしれないという考えが少しずつ強まってきている。

「特定の1人に必要とされること」で得られる安心って、よく考えたらめちゃくちゃ危ういものだしな。人の気持ちは変わるし人はいつか死ぬからな。

 

で、後者。「私が本当にやりたいことを見つけて実行するときに、結婚相手や家庭がその枷になるのではないか」という話。

私にはあまりやりたいことがない。やらなきゃいけないから終わらせてしまいたいことや、それをやることで自分の仕事や自己管理が楽になるからやりたい事はあれど、そもそもその行為自体が楽しいからやりたいと思えることは、一つを除いて殆どない。

その一つというのが音楽で、ベースを弾いたり歌ったりすることは自信を持って好きだと言える。しかしながら社会人になってからは、仕事の忙しさやメンタルの不安定さで思うように練習ができない自己嫌悪から、それらからも目を背けるようになってしまった。

 

主に音楽の妨げになっているのはメンタル(ADHD)なので、病状が安定したらいつかたくさん練習をしてたくさんライブに出たい、音楽関係の友達とも頻繁に楽器や好きなアーティストの話をしたいな、とか思っていると、その中に結婚や出産や育児が入る隙間が全く見当たらない。

まずADHDと付き合いながら趣味に打ち込めるようになるまで何年かかるかも見当つかないし、それができるようになったあと、自分が暮らしの何パーセントぐらいを趣味に費やせば満足できるのかも未知の世界だ。バンドマンと結婚すればいいんじゃね?と思ったこともあったけど、音楽性の違いで離婚する可能性を考えるとリスクは大きい。

 

でも周りはみんな結婚を前提にした付き合いとか考え出すし、会社の人らにも「そろそろ周りが結婚しだす時期なんじゃない?」とか言われるし。

抗いたいものの、世間の荒波は厳しい。

 

他に私が結婚を頑なに拒む大きな理由として家族を持つことへの恐怖も大いにあるのだけど、それはまたの機会に話させてください。

とりあえず明日の大掃除のことを考えながら寝ます。

はてな記法がわからなさすぎるせいで読みづらい記事になってしまったな…