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終夜灯ブライトブライト'

書きたいことを書きたいときに書く練習 アメブロから引っ越し

今日のカウンセリングと生活の知恵

◆今日のカウンセリング

テーマ:思考と感情と感覚について

何年生きていても漠然とした不安と「なんかわからんけど私はダメだ」という気持ちが目の前にべったりと張り付いて剥がれず、考えても考えても突破口が見つからない。認知行動療法だったり、交流分析だったり、スキーマ療法だったり、いろんな心理療法のワークに取り組んではみたけれど、その場の気は晴れるものの全く自身の根本的な状態の良化に繋がっている気がしなくて、それがまた漠然とした不安を倍増させる。

という話をしたら、「葉っぱさんは頭で考えることが得意で、心の問題にも頭を使って思考して解決しようとするから、自分で自分の感情を掴めず置いてきてしまっているのかもしれない」と言われました。

 

確かに、問題そのものについては考えまくっているけど、そこで浮上した「不安」について何か意識したことはありませんでした。だって、不安は不安だし。それ以上でもそれ以下でもなくて、着目すべきは不安という感情ではなくそれを起こしている考え方や状況なのでは?

…と最初は思っていたのですが、確かにこんなにも不安だ不安だと毎日思いながらも、その「不安」がどういった感覚なのかと問われるとあまりピンと来ない。

というわけで、「不安」や、もしかしたらその裏に隠れているのかもしれない別の感情をとっつかまえてやるために、不安や怒り、それ以外の何かしらの感情を認識したらそれ自体に焦点を当て、それがどんな「感覚」なのかを感じ取るということが、自分の「感情」を受け入れる第一歩だそうです。

 

実際に「感覚」に焦点を当てると、感情と一緒に目の前に浮かぶ情景、皮膚や内臓の感覚、身体のどこかにいきなり覚える痛みや違和感など、一口に「不安」としていた状態にも色々あるのだと気付きました。

ただそれをどういった言葉で表現するのが正しいのか全くピンと来ず、まるで自分が言葉を知らない子供になってしまったような不思議な気持ちになりました。もしくはゴリラ。

 

宿題:湧き上がった感情を「感覚」としてとらえる練習をする

今回から「宿題」を設定して次のカウンセリングまで過ごすことにしました。目の前にニンジンをぶら下げられないと走れないタイプの馬なので。もしくは目の前にバナナをぶら下げられないと走れないタイプのゴリラ。

 

◆生活の知恵「自分実況」

なんかもういろんなところでいろんな人がやり尽くしてそうですが、ふと思い立って帰宅後から諸々の家事を済ませてPCの前に向かうまでを一人実況しながらやったら家事が全然苦じゃなかったのでゴリラからもおススメします。

 

ポイントはとりあえず過剰なまでに自分の一挙手一投足を実況し、前人未到の偉業かのごとく称えまくることですね。(以下一例)

 

実況(私)「今私が家に帰ってきました、靴を一足ずつ脱ぐ、いつも通りの「葉っぱのルーチン」をこなしているかのようです」

解説(私)「21時過ぎの帰宅、これはお決まりのベッド直行パターンでしょう」

実況「おや、何かいつもと違う、視線を台所のシンクの中に向けています、これはまるでシンクに残った洗い物を気にしているような…これは来るか…?………洗ったーーーーーーーー!!」

解説「おぉ」

実況「なんと!!帰宅後ベッドに身を投げ出すでもなく!!!!ホットカーペットを点けてスマホをいじるでもなく!!!台所に立ち!!!コップを洗っ……そしてカップを洗い終わった私はリビングに移動します、流石に少し疲れたようですのでここは…」

解説「スマホやろなあ」

実況「いえ、違う、違います、ここでリビングに置きっぱなしにしていた皿を持った!!!!そして、そして、運んだーーーー!!!!リビングのドアを大きく越え、華麗な曲線を描きながらカップが流し台に吸い込まれていったーーーー!!!!!」

 

このテンションで洗い物⇒メイク落とし・洗顔⇒着替えまで終わらせました。文章にすると実績がショボすぎること天保山(標高4.53m)の如しですが自分的にはとんでもないことですよこれ。サヨナラ3ランホームラン打った巨人小笠原ぐらいの達成感。

 

というわけで少し(どころじゃなく)キモいという点を除けばとてもお手軽かつ前向きになれる方法なので、過剰自分実況、お勧めです。

繰り返しになりますがポイントは「過剰なまでに自分の一挙手一投足を実況」です。

まるで小笠原がサヨナラ3ランホームランを打った時ですら小笠原ではなく「大谷の頭上」に注目していたあの実況のごとくな!絶対に許さない。

 


2013.6.5 小笠原道大 サヨナラHR