終夜灯ブライトブライト'

主に日記やライブレポ、たまにポエマーと化す

一度だけ人生の春休みをください。(※1年ぶり2回目)

ちゃうねん。ちゃうねんて。去年のはさホラなんというか連休と言う名の監禁みたいなもんやったし。

そんな厄介なオタクのようなことを口走る今日この頃、どうも私です。いかがお過ごしでしょうか。

私の方は自己肯定をテーマに1年のスタートを切ったと思いきや、蓋を開けてみると結局すぐに身体は壊すわ不安でどうしようもくなくなって他人に迷惑をかけるわで、年明け2週間にして割と自己嫌悪と将来への不安と直近の仕事に対する不安で心身ともにボロボロです。

今はというと、仕事が終わらず先週の土曜日に出勤したものの結局やりたかったことを全部やり終えられず、しかもその精神的な負担と冷えと疲れとなんやかんやとで昨日熱を出して早退し、その延長線的な感じで今日も休んじゃったテヘペロという状況でございます。

で、週末ぐらいから動けなくなりベッドの上でしばらく考えていたのですが、この流れに乗って可能であれば休職というものをやってみようかなと思っています…言葉にすると死ぬほど軽いノリっぽいな。初めてのiPhoneデビューぐらいのテンションで休職するなよ。

 

年明け早々iPhoneXに機種変するついでに休職もしたと思われたら困るので、あと今思っていることをなんとなく素直に言葉にしておきたいと珍しく思ったので、休職しようと思った経緯というか、今の自分の思いを書いてみようと思います。

 

休職に至った経緯

心身の限界。シンプル・イズ・ベスト。

 

しかし単純に心身の限界というのも語弊があって、別にまったくベッドから動けないとか希死念慮で何も手につかないとか感情と言う感情が全て消え失せてるとかではないんですよ。無理な日はホントに無理なのでたまに突発的に休みをもらいつつ、何とか普通の社員と同じように仕事には行けているレベルです。

だけど、それがダメなんじゃないかと最近思い始めてきたのです。ギリギリの状態で持ち堪える暮らしを続けてよいのか、あと何年続けられるのか。そういうことを考えると、一度まとまった休みが必要なのではないかと思った次第です。

去年の半ばぐらいにプライベートがちょっとゴタついたことは前課長も、今ずっと一緒に仕事をしている先輩も知っていて、だから私の心身の不調は一連のゴタゴタが原因だと思われているようです。それは年月の経過とともに少しずつ良くなっていくものだろうから、無理なときは休みつつできる時から仕事をしていけば、最終的には良くなるだろう、というのが彼らの見立てです。

 

でも本当はそうじゃないんです。私のギリギリ限界ライフとそれに伴う心身の不調は、プライベートのゴタゴタが始まる前から、自分が自覚している限りでは18歳の頃からずっと変わらないんです。

 

私と限界ライフ

不穏な感情が私を支配し始めたのは、高校3年生の時でした。受験のストレスが原因…と当時医者には言われましたが、その説明にはあまり納得がいっていません。何が原因かは自分でもわからないのですが、とにかく周りの全てが信じられなくなりました。はじめは当時の恋人が、次には恋人と共通の知人友人が、次には自分の高校の同級生が、そして最後には家族と自分自身が。何をするにも最悪の結果が頭からこびりついて離れず、人と待ち合わせをするたび「きっと本当は私と会うつもりなんてなくて、待ち合わせ場所でひとりで寒空の中待ち続ける私のことを、あの人は遠くから見て笑うつもりなんだろうなあ」と思っていました。人と会っているときも、もし今日サヨナラしてしまったら、もう二度と会ってもらえないかもしれないという不安で頭がいっぱいで、当時誰とどんなことを話していたのかほとんど覚えていません。模試の試験中に、「自分がこのままおかしくなってしまうのではないか」という不安で会場から逃げ出したこともありました。

そして、そんなギリギリの精神状態の中、行ける範囲で学校に行ったり勉強したりと、自分にとっての「できること」を続けた結果、私は第一志望の国立大に合格しました。私のことを嫌っているのではないかと思っていた友人も元恋人も、素直に喜んでお祝いしてくれて、もう不安の中自分を椅子に縛り付けて勉強する必要もない。苦しいのは全部終わりだと信じていました。

 

それでも、頭にこびりついた不安が消えないのです。大学に行けば「クラスや学部の人間に気持ち悪がられているのではないか」という不安が、オフ会に行けば「こんな下手な歌でよくこの界隈に顔出せたな、と思われているのではないか」という不安が。どこに行っても逃げられない不安が怖くて、私はどんどん消極的な人間になっていきました。自分の居場所は、居候先の祖父母が提供してくれた四畳半の部屋を埋め尽くすベッドの中だけでした。

それでも授業がある日は大学に行かなければならないし、大学に行かなければ留年して家族に迷惑を掛けてしまう。留年だけはしてはいけない、という義務感だけで私は4年間大学に通い続けました。サークルらしいサークルにも特に属さず、熱中できる事がある訳でもなく、ただ不安から逃げるためだけに生きた、虚無の4年間でした。

 

一方で、不安とは別に「こんな風に10代20代の月日を浪費する自分が許せない」という、何か実のある事をしなければならないという焦燥感が出てきたのも大学生の頃でした。人に認められたいからなのか、自分の鬱屈とした思いを何かで表現して他人に見てもらいたかったのか、単に自己嫌悪が生み出した思いだったのか、原因は今でもわかっていません。ただその焦燥感は自分でもコントロールできないほど大きくなっており、今もむくむくと膨らみ続けています。

 

そんな思いを抱えながら、2014年に私は社会人になりました。初めての責任を伴う仕事、初めての一人暮らし、初めての関西を離れての生活。当時まだ自分がADHDであることを自覚していなかった私は、とにもかくにも仕事ができなくて毎日のようにこの世の終わりレベルで落ち込んでいました。覚えなきゃならないことが多すぎて、仕事をする前提知識を頭に入れている間にやらなきゃいけないタスクが頭から抜け落ちて。タスクなんかはすぐに忘れてしまうのに、怒られたという記憶やその時の先輩から言われた言葉なんかはいつまでも頭の中をぐるぐると離れなくて。「何か実のあることをしたい」という気持ちなんかどこかに消え去ってしまうほど、圧倒的な劣等感や無力感や自己嫌悪に苛まれる毎日でした。

そして仕事の忙しさとADHD特性のダブルパンチで、ヤバイほどに生活が荒んだ。研修期間中はまだ気楽な座学だったので晩御飯もお弁当もちゃんと作ってたけど、本配属が決まって業務が降ってきた瞬間もう何もかもダメ!月~金の晩飯は「ラーメンラーメン居酒屋ラーメン居酒屋」がデフォルトでした。

さらにどこで覚えたのか(多分先輩女性社員を見て覚えた)「労働力として給料分の働きができないなら、その分は業務後の社内キャバ嬢として稼がないといけない」という謎の強迫観念にかられ、上司や先輩に誘われた飲み会は絶対に断らない、勧められた酒は絶対に断らないという2原則を守った結果更に色々とダメに。飲み会のたび記憶と引き換えに知らんおっさんのラインIDとか手に入れてんの。死ぬほどいらねえ…これ返すから記憶返してくれ…。

多分社会人2年目ぐらいが一番生活が荒んでた頃だと思います。任される仕事量もだんだん増えて来て(できるとは言ってない)、毎月50時間ぐらい残業、そして飲み会。よくネタで「こないだ数カ月ぶりに流し台洗ったんですけど、皿を放置しすぎて汚れがどう頑張っても落ちなかったので捨てました。再発防止策としていまは紙皿使ってますハハハ」みたいな話をしていましたが、全然笑えねえよ。家帰るたび家の汚さで死にたくなって、無理やり死にたい思考を止めるためにとりあえず酒飲んで寝るみたいな生活してた結果の数ヵ月放置です。

 

いつの間にか話が私の生活終わってる自慢になってしまっていた…

兎にも角にも、私は「他人への不安」と「自分への焦燥感」という二つのやりきれない思いを消化することができないまま、仕事の忙しさや自分のクズライフへの更なる嫌悪感で気持ちを麻痺させ続けていたのです。

 

そしてその気持ちは、3年目の春、自分がADHDであると診断を受け、投薬治療を始めた頃にひょっこりと戻ってきました。オッ不安じゃないか~!焦燥感まで~!お前らこんなところにいたのか~!ハハハ!じゃねえよばかやろう。おそらく、薬の効果で仕事が少しずつできるようになり、仕事以外に目を向ける余裕ができたためだと思われます。しかしそれも束の間、そこから約1年はモラハラおじさん(元彼)に怒られないように全神経を注いで生きていくことになり、結局自分の根っこにある気持ちと向き合うことはできないままでした。

 

そんでもって、今に至る。(雑)

モラハラおじさんと別れてもう半年以上が経ちました。フラッシュバックも大分マシになり、「昔の恐怖を思い出して身体に変調を来す」ということは殆どなくなりました。彼が私に置き土産としてくれたのは、「精神的ストレスが体調に顕著に現れる」という厄介な体質だけでした。

これまではどれだけ死にたくても不安でも眠れない夜が続いても仕事がつらくても、会社に行けないレベルで体調が悪くなることはありませんでした。せいぜいうんこがめっちゃ固くなるぐらいでした。(きたねえ)ただ1年以上の理不尽な恫喝だったり叱咤だったり私生活を管理されてるあの感じだったり、彼がやったことは完全に私の自律神経をボッロボロにしてしまったようで。ちょっとしたことでも胸から手足にかけて痺れるような痛みに襲われたり、目眩や耳鳴りで立てなくなったりと、ストレスが過剰に身体に反映する体質になってしまったのです。私の交感神経と副交感神経、有刺鉄線みたいな形になってるんじゃねえかと勝手に思ってる。

 

会社の先輩とか、第三者から見れば「モラハラおじさんと別れられたし、仕事もできるようになってるし、もう問題の種は無いからあとは出来る範囲で仕事をしながら身体が良くなるのを待てばいいよね!よかった!」という感じだとは思うのですが、ところがどっこい私の中にはまだまだ問題が山積みでして。仕事できねーとかおじさん怖いとかの隅に隠れてたけど、消えることなく今も私の中でその炎を燃やしてるわけでして。

そうなのです、自分の中に根強く存在する「不安」と「焦燥感」が私の有刺鉄線状の自律神経にぶっ刺さりまくって、今でも体調がまったく良くなる兆しがござーせん。

しかも厄介なことに最近はまた「超高難易度の仕事」という新たなストレス源が降ってきまして。ぷよぷよだったらコントローラー投げちゃうレベル。

 

どうすりゃいいんだ

で!この八方塞がりかけの状況の中で。不安や焦燥感といった私の根っこに存在する負の感情と、それにビンカンに反応しちゃういけないカラダ、そのどっちか片方でもまずはどうにかしないといけないと思ったのです。そしてそれには休職という行為が必要だとも。

 

感情のほうは、根気強く自分の考え方を変える習慣を付けていったり、場合によってはその原因になってるスキーマみたいなものにつっ込んでいく必要があると思うのですが、如何せん仕事を最優先事項に置いていると気がつけばおろそかになってしまうのですよ。仕事でうまくいかないと無意識によくない考え方をしてしまったりするし、自分の思考や行動を振り返る時間も取れないし。

体調は体調のほうで、仕事をしてると回復のためのいろんな要件(ご飯を3食食べるだとか、決まった時間に寝て起きるとか、陽の光を浴びるとか、運動するとか)を満たせるだけの時間的余裕がまったく取れないのです。特に私は要領が悪くて、普通の人だったら1日あれば出来るだろ~みたいな簡単な家事に何日も掛けたりしてしまうので。

どちらにせよ、仕事と療養の両立というのが難しくて、これを放置したままごまかしごまかし生き続けていると、もっと歳を取った時に凄いしわ寄せが来るんじゃないかと怖くなったのです。具体的には結婚して子供が生まれた時とかね。

 

よくある「仕事のために身を削った結果限界がきた」とかの理由じゃなくてすみません。今の会社や仕事自体がめちゃくちゃつらいわけでも、もう1日も働けないほどつらいというわけでもなくてすみません。それでも、ごまかしごまかしやってきた結果が今なのであれば、もうこれ以上自分をごまかし続けると取り返しがつかなくなると思うのです。耐えて耐えて、苦しいまま人生を終えるのはイヤなんです。

とりあえず今日は普通に体調不良として有休を使っているだけなので、明日以降どうするかは上司と相談しようと思います。

 

不安と焦燥感については他にも書きたいことがあったのだけど、気付いたらこれだけで5000文字超えてしまったので一旦やめぴ!長文失礼しました、読んでくれてありがとうございました。弱い人間でごめんなさい。