終夜灯ブライトブライト'

主に日記やライブレポ、たまにポエマーと化す

好きな事を楽しめないのはもう嫌だ

どうも私です。お休み期間中は自分の思ったことや感じた事を残しておくために、できるだけこまめにブログを書くことにしようと思いました。

というか、文字にして自分で納得しないと拭えないモヤモヤが大量に発生しているもので。鬱屈な文章が多くなるんだろうとは思いますが、気が向いたときにお読みください。

ちなみにまだ新課長には休職したい旨を伝えておらず、体調不良による年休を続けている形です。新しい課長からしたら着任した瞬間にひとり戦線離脱ってなんやねんって感じですよね。さーせん。

その上Twitterとか見てたら特に死にそうなツイートもしておらず、何なら白昼堂々アニメとか見ててこいつ元気なんじゃね?という感じですけど、殴りたい気持ちをちょっと抑えて以下の記事を読んでいただけると幸いです。

休職してやりたいと思っていること

「やりたいことをやりたい」。デジャヴを感じるほどのシンプル・イズ・ベスト。

 

というのも私にはやりたい事があまりないのです。趣味はCDを聴くこととライブに行くこと、あとバンド活動やカラオケオフへの参加を少々…とか言うとワーオ!多趣味だね!と言われるのですが、自発的にやっているというよりも友人に誘われたり勧められたり、あとバンドなんかは一度組むと自動的につぎのライブや練習の予定が立ったりするので、半分趣味・半分義務のような感じなのです。(あっ、でも誘われるのは嬉しいし、義務といっても「仲間と会いたくてやってる所が大きい」的な意味なのでこれからも是非誘ってくださいね…)(予防線)

ただそれでもすげえ音楽を聴いた時のドキドキ感なんてのは今でもありますし、通勤路で「これコピーしたい!」と急に思い立って駅のホームでドゥドゥ…ってベース音を歌って不審がられたりもしてるんです。だけど何なんでしょうね、先日の記事に書いた不穏な感情が表に出てきはじめた大学入学前ぐらいから、趣味に関わるあれやこれやを考えたり取り組んだりする時も、心の一部が翳っているような感触が拭えないというか。

 

多分その一因は、前の記事で取り上げた不安や焦燥感だと思います。自分のやってる事が本当にやりたいことなのか、それとも才能のない自分にとっては時間の無駄だから止めた方がいいのか、わからなくなって何かをしようとしてもすぐに手が止まってしまいます。止まらないものといえば夜中にスケベな漫画を漁ることと、こういう面倒臭い文章をブログやらにうだうだ書いてしまうことぐらいです。

余談になりますが、おなじ理由でアニメやドラマを見ることやゲームもすごく苦手なんですよね。どちらかというとこれは音楽に関する何かをやってる時よりも更に居心地が悪いです。自分のやってる事が、何か将来の為になるわけでもない。この続きを見なくても私の人生に降りかかる不利益は特にない。そういうことに時間を使うことに嫌悪感を抱いてしまうのです。

 

おそらく、一種の強迫観念だと思います。そしてそれを生み出しているのは、当たり前のように決められた進路のための受験勉強だったり、社会人になってからのいろんなストレスだったり、はたまたいつからか備わっていた劣等感だったり、はっきりとした原因は分からないですが、「何か自分の実になることにリソースを費やして、もっと優れた人間にならなければならない」という気持ちが根底にあるのだと思います。

 

やりたい事がないとは書きましたが、音楽が好きなことは胸を張って言えます。人の作ったものを聴くことも、自分で何かを作りだすことも。

小学校に入学する前に、母親のお古のリコーダーを鳴らして遊んでいたこと。好きなアーティストの曲をリコーダーで吹きたくて紆余曲折してるうちにキーという概念を覚えていたこと。漫画オタクだったはずなのに、アニメの本編より主題歌が大好きになって、気付けばミュージシャンオタクになっていろんなバンドマンの同人s(以下検閲されました)。中学校の成績がオール5だったらライカエジソン大阪店で好きな音源を1枚買わせてほしいと親に頼みこんで実現したこと。6年間続けてきた吹奏楽を人間関係の悪化で辞めざるを得なくなって、それでも誰かと音楽をやる事を諦めきれずなけなしの友人に声をかけまくってバンドを組んだこと。何かをずっと続けてきた、胸を張って誇れる話はひとつもありませんが、それでも私の生活は常に音楽と一緒でした。

 

だから好きな事に対して心が動かなくなっていくのは、本当につらいんです。社会人になって、いつまでも趣味中心の生活じゃダメってことなんだよという言葉で片付けられるのかもしれません。でももし、目標に掲げた自己肯定を実現するとしたら、私は音楽をやっていない自分を肯定出来る気がしません。というか、音楽をやっていない自分を「それでもいいんだよ」と肯定したところで、それが自己肯定だと、今の自分には思えません。ずっと音楽と一緒に暮らしてきて、音楽のために必死になったり、音楽に助けられたり、たぶんそういうのの積み重ねで今の自分がいるとしたら、今でも大好きな音楽を諦めている自分は多分自分ではないと思ってしまう。

 

とりとめのない文章になってしまいましたが、とにもかくにも自分がこのお休み期間中に目指したい姿は

  • レベル1:まずは受動的に趣味を楽しむことに対する罪悪感をなくす。
  • レベル2:能動的な音楽活動に必要な努力を継続的に行う。

の2点かな。レベル1と2に分けた理由は次の話の通りです。

 

好きな事をやるために面倒な努力をしなければならないという当たり前の事実を身体で覚える

はい。これ。今の「趣味が楽しくない」という状況、上記のような「自分のやりたいことが正しいことなのか・実になることなのか分からなくて時間を浪費しているのかと思うと不安」という理由と、「単純に練習が面倒臭い」という理由の両方が絡み合ってるのではないかと自分では認識しています。こんだけくどくど書いといて後者の理由がクソすぎる。

 

「不穏な感情が表に出てきはじめた大学入学前ぐらいから、趣味に関わるあれやこれやを考えたり取り組んだりする時も、心の一部が翳っているような感触が拭えないというか…」とかアンニュイな感じで書いてはみたものの、よく考えたら後者については別にその時期に限らずずっと努力が苦手でした。「高校のときは絵を描くこととかが好きで、絵を描いてたら1日ずっと楽しかったのに何で今は楽しめなくなっちゃったんだろう…」とか思って自己嫌悪に陥ってたけど、1日でレベルはともかく完成させられる絵とかなりの年月をかけて基礎を詰まなければ1曲やりきることすら難しい音楽はまた違うよね。絵は幼少時代からずっと描いてたから、デッサン力とかはともかく形は作れたもんね。ちなみにデッサン力がまるでなかったのは、30秒ドローイングとかを試みながらも毎回1週間で飽きてたからです。

 

思えば多分あのころから自分のADHD特性は見え隠れしていたのだと思います。出来る限り練習することなく本番に出たい…と思っていた私は、めきめき自主練とか河原でやっちゃう周りの子たちに比べて控えめに申し上げても下手でした。6年もやってたのに全く響かない!ユーフォニアム

それでもまあ月水金のこの時間から来いよと言われている練習には割とちゃんと行ってたので(行かないと顧問に殺されるから)吹奏楽部時代は楽しい思い出や成功体験のようなものも割とあるんですけど、練習の基本単位が「個人」となるバンドになるともう本当に練習しなくなるよね。自分で書いてて死にたくなってきた。

 

それでもやっぱりバンドは続けたくて、というか音楽で自分を表現するということはやめたくなくて、その理想と先延ばしを極める自分のギャップでまた死にたくなって気が付いたらお布団の中で1日を終える生活がデフォルトになっていたというか。

 

なのでまずは空いている時間の過ごし方に対して強迫的になりすぎず、かつ自分なりに継続的な練習をこなせるような工夫を考えて少しずつ試行錯誤して、うまくいかなくても自己嫌悪の悪循環に陥らないという、これから仕事と趣味を両立した人生を送るための基盤のようなものを作れたらいいなと思っています。あと単純にいろいろ楽器できるようになったり、いろんなひととバンドやってみたり、願わくば自分で曲を作ってみたりしたいんです。(こういう気持ちがずっとあるあたり、やっぱり私は音楽が好きなのだと思います)

 

仕事休んで趣味やるの?クソじゃん…という感じなのかもしれないですけど、自分で自分のことを好きになる一つの大事な要素だと思っていて、実際に去年1年は仕事だけが自分を肯定できる要素だったせいで、年明け早々仕事が詰んだことで再起不能のダメージを受けてしまっているので。趣味をたくさんやりたいというよりも、好きな事やそれに伴う努力を楽しいと思って続けられるような精神状態に回復したいという感じだと思ってください。(無理やり良い感じの言葉でまとめた)

 

なんだかうまくまとまらなかったので、またいつかもう少しわかりやすい文章に直します。

 

 

 

 

 

 

追記

好きなものや以前興味があったものを楽しめないってそれうつ病じゃん☆ということに気付いてひとしきり笑っていま泣いてる。