終夜灯ブライトブライト'

主に日記やライブレポ、たまにポエマーと化す

きっと何者にもなれない私に告げる

最近、マジマジのマジで何もしない時間が増えた。

 

今まで主に漫画を読んだりスマホを触ったりしていた時間が、何もしない時間になった。昔に比べたら良い変化なのかもしれない、とは思う。「何もしない時間」が無かった頃は、何かしていないと不安で仕方がなかった。やりたい事が分からなくて、何かをする気力もなくて、でもその場で大人しくしていると不安に押しつぶされそうで、正体のわからない不安から逃げるように画面や紙に表示される情報を碌に噛まずに頭に入れているだけだった。その頃に比べると、何かをして不安を誤魔化す必要がなくなったという点では進歩なのだけど、依然として漠然とした不安(と言えばいいのか分からないが、胸が痛くなったりザワザワしたりするので不安なのだと思う)は消えていないし、「やりたい事をやるエネルギーがない」という状況からは脱出できていない。怠けているだけなのだろうか?とも考えたけど、たまに到来する好調期にはやりたい事もやるべき事もそれなりには実行する事ができるし、好調期とそれ以外の時期では明らかに何かが違う。全てを言葉にするのは今の私には難しいのだけど、とりあえず心臓は痛くないし立ってても苦しくならない。

 

そんな状態だから、今の自分をどう捉えればいいのか測りかねている。昔に比べれば良くなった、だけど世間一般の水準や自分の目指す姿には到底満たない。自分を褒めるべきなのか、それともケツを叩くべきなのか。

この状況で自分を責めることは、心身の回復という観点では明らかに間違っているということはかろうじて理解している。もっとも体にいい答えは「良い悪いという評価ではなく、ありのままの自分を受け入れよう」という感じになるのだろうか。なんとなく理解はしているし、そう思うことで自分の心が少し軽くなる実感もある、けれどもなかなかその考え方を受け入れられない自分もいる。

 

ずっと何かになりたかった。苦しいという気持ちを形にして、それで他人の心を動かしたり、夢中にさせることができる人に憧れていた。自分が苦しい時に救われたからとかではなく(全くその気持ちがない訳でもないが)、とにかく魅力的だった。

いつか自分もそうなりたかったし、苦しみ続けていればいつか自分もそうなれると思っていた。思いを形にするために、楽器を弾くようになった。歌をたくさん歌うようになった。絵も描こうとしてみたし、写真を撮ったり撮られたりもした。

でも、いつまで経ってもその日は来なかった。形にならないまま苦しい気持ちだけが膨らんで、気力や体力を奪っていった。楽器やペンを持つ事が億劫になって、いつのまにか携帯や漫画以外のものを握ることがなくなっていった。

 

今となっては、何故こんなに苦しいのかもよく分からない。10年前と今では抱えている苦しみは別物かもしれない。もしかしたら今となっては何も苦しいことはなくて、自分自身の「何かにならなければ」という現状を否定する気持ちが苦しみの原因なのではないかと思う。

今の自分にとって、ありのままの自分を認めること、この苦しみを手放すことは、何にもなれない自分を認めるということだ。それがどうしても怖くて仕方ない。かと言って苦しみを抱えたままでは、何もできない。詰んでる!

 

こういう気持ちを、もっと若いころに抱く人は少なからずいたのではないかと思う。暗いもの、後ろ向きなものへの憧れみたいなものは、中二病を患った人の多くが抱いた事があるんじゃないかと思う。ただ、我ながらちょっとこじらせ過ぎた。こうやって諦めるような文章を書きながらも、「いや、そうは言ってもまだ…」というワンチャン的な希望を捨てきれていないのがその証拠だ。中二病をこじらせていない人はこんなキモい文章をしたためません。

 

来世は苦しい時にも前に進めるタイプのメンヘラになりたい。もしくは、適度なストレスを乗り越えて精神的に安定した大人として育ちたいです。